花束

クリスマスイブ前日に生まれた僕は、幼い頃に両親からも大人になって彼女からもプレゼントを頂けるのは1年に一回だけである。

それなら、どうせなら24日に生まれたかった。僕と同じ日に誕生した人は頷いてくれそうである。

誠に申し訳ないが8日後にだけは生まれないで良かったと思う。こちらも大きく首を縦に振ってくれそうである。お年玉まで一緒にされたのでは随分と損をしたような気持ちになる。

たまったものではない。

世界中の人がお祝いしてくれるのよという母の言葉に騙されてケーキを美味しく頂いていたものだ。両親からは小学生の頃に電動の鉛筆削りを一度だけ買ってもらった記憶があるがそれ以外はない。

洋裁が得意だった母はズボンとかシャツを作ってプレゼントの代わりとしていたような気もする。これはこれでプレゼントに違いのだが何となく釈然としていなかった。今となってはありがたい事なのではあるが当時はむしろ嫌でいやでしょうがなかった。

ロゴがないのである。

友人は流行り出したナイキ、プーマのジャージを着ているのに対し何とも知れない布製ズボンであった。

裕福でない事を自覚した中学生になる頃には諦めていたが、幼い頃の僕はアディダスの3本ラインを何度も懇願していた。母を苦しめていたのであるが当時は全く自覚していない。

しかし問題はここではない、ロゴがないのはまだいいのだ。

やがて衣服は破れてしまう。山野を駆け回って破れてしまう。擦り切れて穴があいてしまうのだ。

同じようにミシンを踏んで作ってくれたパジャマがくたびれてヨレヨレになってしまってもどうでも良い。なんてことはなく、言わば永遠に着ていても何とも思わないし、気にもかけない。

問題は外着であり、母の器用さもまた問題である。なんと母は補修をするのである。洋裁のアルバイト的な事をしていた母はその端切れで僕のズボンやらシャツを作成し同じ色ではなく少しだけ違う似たような色の布切れで穴を塞ぐのだ。

これはいけない。間違った行動である。

嫌がる息子を気遣った彼女はそこに柄物を貼り付けるという技にでる。無地のグレーのズボンの膝にチューリップのアップリケが施されているのを想像してほしい。女の子より成長スピードが遅いと言われる男の子でも小学校に入学して4年生の冬頃にこの仕打ちは、もうこれは駄目である。

幼気な少年にとって非常に酷なことである。バリバリに恥ずかしい。

姉のお下がりを着せられて姉の友達と会う事より恥ずかしかった。

しかしおかしなことに体育のジャージが破れて補修されても、これは何となくどうでもよかった。この差が自分でもわからなかった。今でもわからない。

お付き合いをして頂いた女性からのプレゼントもその時々で色んな物を貰ったはずだが申し訳ない事にあまり覚えていないし、どこでどこに消え去ったか覚えていない。

不思議に思うことが最近TVを見ていてあった。

同性(特に男性)に誕生日プレゼントを贈る人がいるということだ。

僕には考えられない。損得ではない事は知っているし、礼儀として頂いたらお返しをすることも理解できる。

最近は少なくなっているようであるが中元、歳暮は必要である事という主張もまだ良い。

母の日、父の日も世間の人はこぞって大事にしているしその他の世代間のやり取りはOKとしよう。

しかし、男性サラリーマンが「今日は君の誕生日だから飲みに行こうか」「なんだよ飲みたいだけやん」という会話はよくあると思うが、「違うよ、プレゼントも買ってきたよ」と言われたら気持ち悪くて疎遠になりそうである。

正月休みに帰省した同僚が「これ地元の名産でね丁度、君の誕生日でしょう。旨いからちょっと食べてみて」これは良い気がする。

下心がなく、お近づきでなく、魂胆も何もなく贈る同性(男性)への誕プレは苦手である。

中学生だった。冬休みに入ってから訪れる僕の誕生日は誰からもおめでとうという言葉も聞けなかった。まあ社会人になったところで祝福されるわけではないが。

中学で知り合った不登校の生徒がいた。数回しか学校に来なかったので会話という会話もしていなかったが、夏休みに彼に会いたくなって自転車を30分程漕いで会いに行ったことがあった。

おばあちゃんとお母さんとの貧しい3人暮らしをする彼に会いに行った。

彼は学校を拒否しており、対する僕は嫌々ながら登校する成績がいまいちな親の躾が厳しいまじめな生徒であった。

言わば対極に位置していて交わるはずはなかった。彼は眼光が鋭く不良であるはずで僕を認めていないだろうし僕も彼を避けてもいたが、睨まれたこともなければいじめられる事もなかった。

どうして会いたくなったかは別にして、僕は彼を避けていたが憧れてもいた。周りの友人達とは違う何かを彼は持っていて思春期の入口で思い悩むことは彼が解決してくると確信めいたものがあった。小心者で臆病な僕はその違う何かを彼に求めていたような気がする。どこかで気持ちが通じると信じていたので彼に会ってみることを決意した。

川沿いに建つトタン張りの古ぼけた平屋の中に入れてはくれなかった。話が合うはずもない僕を面倒臭く嫌がっているのでなく家の中を見られることを嫌がっているんだと感じた。縁側でカルピスを飲んだ。自活の生活をしていることを知った僕はどこかで彼を羨んでいた。

彼は畑を耕し、釣りをして家計を助けている事を話してくれた。町村合併があり新しくなった中学校は賑やかだったが誰も彼の事は口にしていなかった。

でも彼はやっぱり思い描いた彼だったと確信した。

特に大した会話があった訳でもなく、それ以降彼にあったのは一度だけである。

3学期が終わり2年生になる春に彼が職員室にいるのを見かけた。

誰も彼を気にする事は無くむしろ煙たがっているようだった、体育館で終業式が行われる前の教室で担任が彼の転校を告げた。クラスメートはそうだろうなという顔をして誰も驚いてはいない。邪魔者がいなくなることで安心しているようにも写った。ニヤニヤとしている周りを見渡して僕は無性に腹が立ってきた。

助けたいと思った。誰からも惜別の言葉を掛けられない彼に想いが寄っていった。これから彼はどうするのだろうかどうやって生活するのだろうか。

お母さんが再婚することになっていることを願っていた。

教室を出ようとする彼が振り返って僕の名を呼んだ。怪訝な顔が並んだ教室の、今の彼には何の役にも立たない下手な正義感をもっているであろう生徒達から僕も逃げ出したかった。一緒に廊下に出た僕は、そっと彼の左の肘を掴んで次第に力をいれた。先生は僕らを止めることもなく騒ぎだしているクラスメートを静めている。小さい花束を抱えた彼の無表情な顔を見て動揺していた僕は居たたまれない感情が湧き起こっていた。

彼に促されて僕らは校舎をでて裏山の神社まで歩いた。

境内の階段に並んで座った、桜はまだ花を付けていなかった。

煙草を取り出した彼は僕にも勧めたが苦笑いの顔の前で手を振った。

彼は煙を吐きながら小脇に抱えた布の袋から紙に包まれた物を僕に手渡して言った。

「恥ずかしいからさ帰ってから見てよ」

「なに?どうしたん?」訳が分からず戸惑っている僕を「相変わらず直ぐ動揺するよね」

といって笑っていた。

「ばあちゃんが死んだんよね、母ちゃんと引っ越す事になってさ」

返す言葉が見つからない僕は大きい溜息だけをついた。

「まあどこに行っても働くけどね、俺不良じゃないからね。貧乏やから遊んでいれんからさ。これからは、ばあちゃんの看病をしなくて良いだけ時間が出来たしさ。でもね、ばあちゃん土葬にしたんよ、ちょっとかわいそうやったね」

「お墓参りの時は会おうよ、お盆とか帰って来るやろ。僕んちの屋根に登れば花火が綺麗に見れるよ」これくらいの事で彼が喜ぶとは到底思えなかったが他に適切な言葉が出てこなかった。

「会いに来てくれたやんか夏休みに。嬉しかったんよ、みんな俺の事を嫌ってたし相手にされてなかったしさ。誕生日12月だったよね、3ヶ月遅れやけどそれプレゼントやけん。期待せんでね、家に帰ってから見てね。はずかしいんやけどさ俺が今日もらった花束よりは気持ちが入っているから」そう言ってまた笑っている。

立上った彼は「じゃあね」といってゆっくりと歩き出した。

終業式が終っても誰も彼の事を聞いてくる者はいなかった。

彼が言った通り自宅に戻ってシューズケースに詰め込んだ紙袋を開けた。

長さが揃わない使いかけの20本程の鉛筆がゴムで巻かれている、色鉛筆が華やかさを増していた。

彼は鉛筆を花束にして僕に渡した。

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