紫煙の続き

グラウンドの隅で伸びきった夏の花が勢いを失って顔を垂れている。

祭りの花火が上がってしまうと長いはずの休みも終わりを告げたがる事を僕は知っているし遊泳が禁止され赤とんぼが群れ飛ぶころには宿題だけが残されている。

今年は親戚のお兄ちゃんも遊びにこなかった。

1週間後に迫った祭りを待ちわびる僕らに先生はくどいほど注意事項を指導する。

原爆が落とされた日は登校日となっていた。

すっかり寝坊癖がついた僕はギリギリまで起きなかった。

いや本当はいつもより目覚めは早かったが布団の中で父が出かけるのを待っていたのだ。

結果の確認をすることが怖かったので父の車のエンジン音を聞いてから起き上り、寝坊を装って身支度を急ぎ家の中を走り回って母の顔を見ず玄関を出た。

真っ黒に日焼けした顔が並んだクラスメイト達は背中の皮が2回も剥けたとか宿題がもう終わってしまったとか今の僕にはどうでもよい全て後回しに出来る事を話題にしている.

その中に入りたくなかった。

ふと阿比留君に会いたいと思った。

山の端を切りとおした峠道は幾度もカーブを描き青く茂った桜木の枝は風の強さを誇示するように揺れている。

白く煙った靄で視界は悪かったが懸命に漕いでも中々前には進まない。山を下りてくる車がカーブミラーに姿を現し、急いで舗装されていない路肩に身を寄せる。

長く続く下りの爽快感を早く感じたくて立ち漕ぎを始めたけれどすぐに蛇行運転が恐怖を伴う事を知った。やっぱり戻ろうかという気持ちを落ち着かせるためにスタンドを立てて空海が休んだという平たい石に腰を落とした。

七曲りと呼ばれる隣町に通じる峠道は春になると見事な桜がうるさく連なり咲きを見せて大人たちを喜ばせる。毎朝のバスの中で感嘆の声をあげる人々をよそに学生たちは皆が眠っている。

毎年咲く桜のどこに大人は魅力を感じるのだろうと思っている。丁寧に道に沿って先人が植樹をしたのだろうか?そうに違いなかった。山の傾斜には全く桜はなく路肩に沿ってだけ植わっている。

自然が中途半端に豊で半農半漁のこの町にはこれといった特色も魅力もなかったし、過疎化が進み1学年1クラスの小さな小学校を卒業した僕らは隣町の中学校と合併することになった。

男子達は体育の授業でお互いの昨日までの友を応援して合併した相手校と優劣を付けることに躍起になった。体育教師は選抜選手を絞りこみ競い合わせる事を楽しんでいた。六年間のなかで体躯の変化と共に徐々に決定された僕らの運動能力順位は多少の前後はあるが選抜の選手は自然に決まっていた。

しかし僕ら側の選手は足の速さがそのすべてであったのに比べて彼らは野球もサッカーもバレーボールにも秀でた少年達が多くいた。

なにせ僕らはそれらに経験がなく全てにおいて完敗であった。僕らの得意な競技はリレー走を始めとして跳び箱と縄跳びと綱引きとソフトボール位であった。

全国で万遍なく盛んな野球の経験が無いのである。クラブチーム等なく教えてくれる上級生もいなかった。

ウインドミルで投球練習をしているのを見て自信がなくなった僕らは最後の砦のソフトボールにも敢え無く敗れ去った。

海が綺麗で風光明媚が取柄だけの町に育った田舎の少年達に吹き込んだ新しい風は幼気な心を粉々にして吹き荒れていった。

町中が色めき立った前年に設立されたはずのB&G財団という耳慣れない真新しい建物に集う大人たちは何の活動もしていないようだった。

阿比留君は入学以来ほとんど学校を休んでいる。

数回出校したときに会話をした。

彼は言わばおとなしめの不良だった。

トタン張りの平屋建てが川向こうの藪の中にあった。

周りに他の建物はなくうっそうとした中にぽつんと佇んで灰色の煙が曲がった頼りなく細い煙突からゆっくりと流れ出している。

遠くに橋が見えているが浅く流れる川に連なる石をつたって向こう側に渡ろうした。

既に見られていることに気が付いた僕は自転車をわざと無造作に倒して川を渡った。

週末には必ず磨いて大事にしている自転車を邪険に扱った。

両親が見ていたら怒るどころかガッカリするはずである。期待を裏切り続けている僕はお行儀までも悪くなっている。

しかしそうでもしないと阿比留君との会話が出来ないと何となく思っていた。

「どうしたん?」阿比留君は意外にも、わりと爽やかに笑顔も伴って先に声をかけてきた。バラバラな形をしたなすびとキュウリが植わった畑が家の横に広がっている。

井戸の横に新しく作られたであろう犬小屋はそこに住む人たちの家よりも立派にみえる。

遊びに来たとだけ伝えた僕に、此処にいるようにと伝えた彼は家の中から麦茶を運んできた。

僕の顔を覚えていることを不思議に思ったが邪険な対応でない事に安心し、笑顔をつくっって縁側に腰掛けた。

一気に飲み干したグラスに自分で麦茶を継ぎ足した。

いつもと違う行動をする自分自身に驚いていた僕は割と簡単に「2学期はどうするの?」勢いを増した勇気がデリケートな言葉を選んだ。

瞬間、まずいと思ったがこれから自分にとってもっと刺激的な言葉を用意しており、その内容が答えを期待しない自分にとっては軽い質問となり口を出た。

「行かないやろうね、先生に説得して来いって言われた?」そういってポケットから煙草を取り出して火をつけた。

これから自分で決心した行動をとる事を思い描いて胸が弾けそうだったが同じようにすることで置かれた立場を一緒にすることが必要だと思っていた。

思えばライターを持っていなかった。

マールボロを手にした僕は練習した所作とおりに口に加えて借りたライターの火にあぶった。

煙草に付いた火は直ぐに消えている。今度は何度しても着火しない。

僕が手にしたマールボロを奪って口にした彼は自分の煙草から直に火を移した。

フンッと笑いながら煙草を渡した顔をみて観念した。

僕はミノル君の事を話した。

しばらくして土手沿いにカシャカシャと音を立ててこちらに向かう自転車が目に入ってきた。

直ぐにお母さんだとわかった時に憂鬱そうな表情をした阿比留君は顔を空に向けて大きく煙を吐いた。

突然、家の中からドスンと大きな音をたてて犬が飛び出てきて僕らを気にもせず吠えることもなく自転車に向かって走り出した。

ゆっくりした仕草で大きな缶に吸い殻を捨てた彼はそれで何?と再び僕に聞いてきた。

言い出す勇気をそがれた僕は「お母さんに見られて煙草大丈夫なん?」と言わずもがなの事をいった。

「かあちゃんも吸ってるから俺に文句言えんやろ」

「でもさ、身長が伸びないようになるって聞いたしさ、お金もかかるしさ、肺が黒くなるらしいやん。女の人が吸うのはいけんよね?」

不機嫌そうな表情になった彼を横目に立上った僕はひきつった笑顔で母親に挨拶をした。

怪訝そうに僕を伺った彼女は籠の荷物を引上げながらこんにちはとだけ言って家の中に入って行った。開襟シャツが少しはだけていて長めの薄い黄色のスカートが少し汚れていた。

取り繕うように、口にした煙草を大きく吸ってみた。一気に流れ込んだ煙は肺を支配して血管を萎めすぐに眩暈がしてよろよろとしてドスンと縁側に座り込んだ。

驚いた犬が大きく吠えて僕を睨んでいる。

良かったと思っていた。

いい加減な事と気に障る事をいってしまい白けた場になってしまったことを後悔していたが僕が座り込んだことで再び僕のほうが駄目な人間になったようで安心した。

照れ笑いをしながら体勢を整えた僕は話頭を変えたくなった

「この辺は蛍がみれるんじゃない」といってみた。

もう一度親しく話をしたかった。

「ウナギも釣れるよ、最近はよく」

「僕の母親がね、煙草を吸っているところをね、見たんよね」

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