思考②

当時、深夜になると所謂マイナーなスポーツがEテレで放送されていた

東京ではオリンピック競技となったサーフィンやスケートボードにしても当時はマイナー競技として扱われていたように思う。しかし競技人口が少ないだけでTVから伝わる熱は充分に感じ取ることができた。

でっかいタイヤを付けた車が沼地を競争していたり、素手で壁を登ったり

1日の放送時間が終わる頃に僕は胸を躍らせていた。

何しろNHKと民放2社だけのTVに写し出せれるスポーツは大相撲と巨人戦が全てだったように記憶している。陸上の世界選手権も無ければ、のちに夢中となるゴルフ中継は全く映し出されない。

足は早かったがクラスリレーの選手に選ばれる程ではなく、背は高い方だったが同学年に10人いた中でレギュラーとなれる6人からは外れたバレーボール部に所属していた。

夏休みに行われる地区対抗のソフトボール大会ではサードで3番だったが過疎化が進む地方で育った僕らの地区の6年生は僕一人だった。

するから見るに移行するなかで次第に投影術を身に着ける事となる。

悲しさを和らげる投影を。

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