図書館のアダルト

その頃の僕は「人間失格」は怖くて読めなかった。

読んだらとんでもなく不安定な気持ちになり日常生活を平穏無事に過ごすことが困難になってしまうと思われた。

タイトルが想像させる物語は精神がおかしくなってしまった主人公が殺人を犯して奥深い山村に逃げ込み、やがて村人から十字架に吊るされて死を迎える。というものだった。

有害図書である。どうして小学校の図書館にもあって先生の推薦本の一覧にあるのか理解出来ずにいた。

同じく僕の中のもう一つの有害図書が「痴人の愛」だった。

エッチそうなタイトルである。痴人の意味は知らなかったが何となく理解していた。なんとな~くである。

両親の寝室にある箪笥の上に西洋の魅惑的な顔をした女性の人形があった。

痴人はこんな表情をしているはずだった。興味がワクワクしていた頃であったけれど読んでいるところをお父さんに見つかったら少しだけ怒られそうだった。

しかしこれも同様に図書棚に並んでいる。

身体検査の日、右手を左手首にあてて脈拍を初めて計った。

90回を超えた時に心臓が病気なんだと悟った。長距離走が得意な僕はそれでも病を疑わなかった。臆病と小心と怖がりを宿した僕の心と精神性は方々で行動に制限をかけていた。

迷った末に「伊豆の踊子」を選んだ。

終業式の前日に国語の先生は読書感想文の宿題を命じた。

長くて短い夏の休みは川端康成が僕を支配した。

なんで慌てて東京に帰るんだ!

腹が立ってしょうがない、もう少し一緒にいてあげるべきだと激しく思った。

お金が尽きたと書いてある。

嘘だそんな事はないはずだ、だってお兄さんに2階の窓からお金を投げ渡したじゃないか。残金が心もとないならそんなことはしないだろう!

思ったより子供すぎたから興味が薄れたのか?

いやこれも間違いだ「今夜汚れてしまうのか」と心配していたじゃないか。ますます怒りがこみあげてくる。同時に踊子がかわいそうで仕方がない。

湯河原で初めて遭遇して彼女は君にずんずん引かれていったのだ。五目並べをしたかったのではなく君と一緒にいたかったのだし、活動を見たかったのではなく君と二人きりなって色んな話をしたかったのだ。

心配しなくとも彼女は未だ少女であるはずだ。

それだけではない、初めて彼女は恋をしたのだ、初めてだぞいいか!

つづらおりの山道で長めの棒杖を渡そうとして叱られて短めの棒杖をもう一度渡してくれたんだ。自分に興味を示してほしくてやったことだ。

だいたい男を知っている女が湯どころから裸で手を振るわけがないじゃないか。大島で生まれ育って満足に学校にも行かせてもらえず家族で旅芸人と暮らしていく中に初めて心ときめく男の人に出会ったのだ。

酒席に踊っていてもその踊りを君に見てほしかったに違いない。それを、その裸の心を君は踏みにじったのだ。

下田の港に別れるまで彼女は自分の境遇を恨むこともなく純粋に心の中で君を慕っていた。

一途に精一杯の表現で愛を表わした。

確かめる事が出来ず約束もできずに君は別れを選択したんだ。

君は東京に戻ったら沢山の恋愛を大勢の女性とできるだろうが彼女は限られているんだ。

選択の余地はそれほど多くはないんだ。

いわば弄んだんじゃないか。

腹が立ってしょうがない。川端康成が嫌いになりそうだった。

と言うような勢いで感想文を書いたような気がする。

その頃の僕には刺激が強すぎた。

大人になってから読む小説だと思った。

2学期になって川端康成の小説を読み続けてみた。

どこかに薫のその後が出てこないかと思ったからである。

中学生になり読み進むうちに色々なことがわかってきて純粋な僕も少しづつ、嫌いだった川端康成が好きになっていった。

氏が描く世界には奇想天外、ドンデン返しはなく日常の心の移ろいが中心であるけれど多分に僕は揺さぶられる。不安と切なさが宿ってしまい逃れられない。

主人公は決して頑張らないし、激しい感情を表に出さない故に、こちら側がやきもきしてしまう。

後年、吉永小百合さんと迷った末に山口百恵さん主演の同名映画を見た。

小説とは違った部分も多々あったが改めて同様の感想が懐かしく沸き起こったものだ。

しかし一つだけ合点がいかないことがある。

ラストシーンである。

踊子が宴席で踊っている。幼い笑顔をして不慣れな愛嬌で踊っている。

そこで一緒に踊っていた酔ったお客が後ろから踊子に抱きつくというシーンで静止してエンドロールとなっている。

これが何とも理解しがたい、監督はなぜラストをこうしたのか。

何となくわかるような気がしないでもない。

無情とか寂寥を表わしたのでのであれば更に僕はすごく悲しい気持ちになる。

映画を見てもう一度読んでみた。

小説のラストシーンは船の中で主人公は少年の膝に涙を流すのだ。

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