いつの頃からなんだろうか?
何故そんな風になってしまったのかも判然としていない。
クワガタが隠れている木は決まっていた。
そのサイズに満足が出来なければ一応、手にはとってみるもののそっと元に戻すのだった。
やっぱりヒラタには少しがっかりしてみんなミヤマに憧れていた。
ラジオ体操に間に合うと必ずそこに行って確認してみるのだが、もちろん僕はお寝坊であるために森に入るのは週に一度程度ではある。
そろそろだなという前日の夜は細いロープに平たい石を括りつけ準備に余念がなかった。夏の早朝はラジオ体操の為にあるのではなくミヤマの為にあった。
10分程度体操に付き合って係の父兄に印鑑を押してもらうと駆け足で森に入って行き、決めていた木の下に立つと上を見上げる。
樹液がただれる穴をそっと覗き込んで確認する。
いない。
普通である、そう易々といるものではないことはわかっているのだ。
2つ3つの目安を付けている木を回るがどこにも探し当らない時もある。
いつもの親しんだ森の香りのなかで小鳥の平和なさえずりと合わさって邪魔者が来たとでも言うのか騒ぎ立てるようにセミ達もうるさい。
言っておきたいが君たちには全く興味がないんだ、田舎の少年達は決してセミを追うことはないんだ。
高枝をめがけて小石を下手から勢いよく投ずる、木の枝は下に伸びることはないから必ず細い枝を巻き込んだ石は手元近くに落ち来る。
同時にセミのオシッコも落ちてくるけどどうでも良い。
田舎の少年達はオシッコにさえ慣れているのだ。
二つの束ねた細いロープをゆっくりと引っ張る。
何故なのかはわからないが最初はゆっくりと枝を揺することにしていた。
次第にその手は早くなり最後はじれったいように高速となる。
1匹2匹と奴らは観念した様に落ちてくる。
夏の楽しみの1つである。
小学男子であれば誰もがクワガタに興味があるはずだと思うが僕の故郷ではまぎれもなくみんな虫かごを持っていた。
8月9日の登校日は姿かたちを競い合うために一番優秀な1匹を持参して品評していたほどである。
後年、デパートで少年達が昆虫を買うのをテレビで見て驚いた。
昆虫はお金を出して買うものではなく、あくまで摂るものであろうと思う。
さらに不思議だったのがクワガタよりもカブトがより高額らしい。
なぜなのだろう、僕らは圧倒的にクワガタ推しであるのに対しどうして都会の少年たちはカブトのほうに惹かれるのだろうか。
比較をしてみてもズングリしたカブトよりスタイリッシュなミヤマの方が美しいし、そもそも相手に対する攻撃性の差は歴然としている。
観察してみるとミヤマは瞬時に相手を挟みこみ痙攣させて動かなくすることができるがカブトは敵対する相手を巴投げみたいに後ろに放り投げるというだけで一命をとる事は無い。言わばライオンと象である。
艶やかな黒を纏った角のS字に流れるフォルムは僕らをぞくぞくとさせたし自分達にはない獰猛な強さをミヤマは持っている。
捕らえたミヤマはペットであり仲間であったし餌を与えつづけ世話をするが、動きが悪くなると心配になり夜は布団の横に虫かごをおいて寝たものである。
虫かごの中にカブトがいた記憶はない。
しかし、残念な事に両者とも飛び方がとても間抜けであり共に長い距離は苦手であった。
これが生息場所を制限していてひと夏を同じ木で過ごすために僕らに発見されやすいんだ