恐怖は突然やってくる。
じわじわであればあらゆる対応が可能になるが気を張っていないぼんやりとしているときに身に降りかかると慄き慌てふためく。
お弁当を食べ終えて校舎の中庭でテニスに興じる女子を見ていると
あまり会話をしたことがない苦手な男子が席の左斜め前に立って僕を凝視しているのがわかった。
もちろん関わりたくないので無視することに決まっていた。
「話しかけられればもちろん相手にするし憎んでいるわけではないので、この状態は無視ではなくあくまで僕は今、女子に興味があるから外をみているのです。だから君にはまだ今のところ気が付いていませんよ」という事を心の中で発していた。
こいついやらしい目で女子を見ていると思われても結構なのだ、いやむしろその蔑んだ感覚を持ってもらったほうが無視をされたと決め込まれるよりも良いに決まっている。
「マモっ!」
僕の顔を正面に向かせた後にポケットに突っ込んだ手から巨大なムカデを机の上に放り投げた。
ギャーーという叫び声と共にまだ食べ終えていない隣の女子が机と一緒に向こう側に倒れ込んだのがわかった。
両手で前方に押し倒した僕の机は前席の女子のイスに激しく衝突してこちら側に倒れ込んでくる。
同時にこぼれたムカデは再び胸に横たわる。
教室中が叫び声と笑い声で異常な世界と化して大騒ぎのなか僕は何としても平静を装う事に終始しなければとそれだけを思っていた。
怒りは消していた。
更なる嫌がらせを受けると警戒したのだ。
努めて冷静に「もー。びっくりするやんか」というのが精一杯の強がりだった。
この対応ができたのだ、理由は簡単だ。ムカデはまだこの時はそこまでの恐怖ではなかった。その存在を知っているわけだし1対1の勝負であれば必ず勝つからだ。
もしこれがゲジゲジだったら隣の女子と同じような結果になっていただろうと思う。
後で聞いたことだが角だか口だかは知らないがそこをハサミで切り取ったという事だった。
トラウマという言葉を使う時はいつもこの時のことが思い浮かぶ。